2014年6月23日月曜日

『四月末の夜、地下墓地にて』

 閉店後の時間だというのに通りがやけに騒がしい。向かいの宿屋には人が頻繁に出入りし、まるで昼間のような騒がしさだった。
「なにかあったのか?」
 通りを走っていた適当なやつを捕まえて聞くに、
「北の門で何人か怪我人が出たんだ。全身真っ黒で親方と同じくらいの身長がある、人間とも思えない感じのやつが襲ってきたらしいんだ」
 とのことで、急ぎで灯りをつけられた通りを、何人かに担がれた怪我人らしき人が運ばれていくのが見えるあたり、本当らしい。宿屋の客室からもれてくる明かりの数が増えてきた。
 北の門の先と言えば、大きな火山がそびえ、そのすそ野にはうっそうとした森が広がっている。わりと凶暴な生き物が出るので、静かな南側とは違ってその方面の門番は手練れしかいない。そんなやつらでも勝てない生き物というのはどういうやつなのか気になった。本当は興味本位といったところでもあるのだが、それでは怪我した人に申し訳が立たないので、半分は武器屋の仕事と自分に言い聞かせ、知り合いを誘って北の門へ行ってみることにした。
「おっと、忘れ物忘れ物……」
 出かけようとしたとき、忘れ物をしたことに気がついた。護身用に持ち歩く普段使いの剣を携え、店の鍵を閉めた。
「おい、ロックはいるか」
 ロックを誘いに宿屋に入ると、通路には赤いシミがいくつかついていた。何人かが慌ただしくそこを歩いている。赤いシミを気にする気配は全くない。この状況では、宿屋の親方であるロックはついてこれなさそうだ。
「なんだなんだ、ダンカンか」
 入り口からすぐの部屋から顔だけのぞかせてロックが返事をした。
「北の門まで一緒に来てほしいんだけど……この感じだと無理そうだな」
「たしかに無理だな。これが終わったら行く」
 外へ出る前に部屋を少し覗くと、何人かの男が大きな台の上に並べられているのが見えた。傷口はかなり深そうで、一人に対して何人かがかかりきりで治しにかかっているが、とてもすぐにはふさがりそうになさそうだった。
 通りにはテリーが心配そうな顔をして立っていた。カフェの営業時間はとうに終わっているはずだがまだ明かりはついており、中からは話し声が聞えてくる。
「マスターの仕事はいいのか?」
「いや、仕事になんないだろこの騒ぎは。中はどんな様子なんだ?」
「まあ……戦場の後方みたいな感じの騒がしさだったな。そういやテリー、まだ店を閉めていないのにこういうのもあれだけど……」
 実際に襲われた北の門まで一緒に来てほしいということを話すと、
「ああ、もう少ししたら閉めるから先行っててくれ」
 と返され、結局俺は一人で北の門まで行くことになった。まあ、きっと門番が総動員で守りにあたっているだろうし危険はないだろうと考えて、早足で北の門へ向かうことにした。
 北の門には、いつもの三倍くらいの人がいるようだ。大けがを負った人が何人も出た気配は消えていて、なんだか謝りたくなるほど静かだ。それでもおそるおそる一人に声をかけてみると、
「どうしたんだ、今は街の外には出られないぜ……って、武器屋のおっちゃんか」
「名前は知らないけど黒いやつが襲ってきたんだって?」
「あ、ああ。こっから北のほうにある地下墓地の入り口をふさいでた岩があったんだけど、そいつがどうやら砕かれたかなんかでダメになっちゃってな。そっからわいてきたって話が出てる」
「あそこは二十年近く前に戦争で死んだやつらの墓場じゃなかったっけ。なんで今更化けて出るんだよ」
「さあ。それは俺にもわかんねえ。一回地下墓地を調べたほうがいいんだろうけど、集まったのはビビりだけしかいねえ」
 男は、俺もその一人だけどな、と笑いながらつけたした。どうやら集まったのは本職ではない人間ばかりで、門番をやっていた人は地下墓地の入り口まで行ってしまったという。
 ちょうどカフェを閉めてきたテリーが門まできたので、一緒に門番たちがいるという地下墓地へ行くことにした。聞いてねえよ、とかいろいろと言っていたが、そのまま引っ張っていくことにした。
「おいおいおい、話がちげえって」
「まあ気にするなって。地下墓地のほうには手練れの門番が何人かいるはずだしな」
 手練れのという単語の前に、"多分"と注釈を入れたほうがよかったような気がしないでもないが……。
 地下墓地は北の門から北へ、それなりに歩いたところにある。途中で山道を外れ、ひとつの洞窟へ入り、さらにその最奥部にその入り口がある。正直言って、ここまでくるだけでも疲れてしまった。
「お、明かりがあるな」
 洞窟の奥に明かりが見えた。すでに行っている門番たちが灯したものだろう。歩いていくうちにその姿が見えてきた。砕かれてしまったという岩は洞窟の端へ積まれていた。
「武器屋のおっちゃんじゃないっすか。こんなとこまでどうしたんです?」
「中が気になってな。こっからわいて出たっていう話だよな?」
「そうっすけど……まだ誰も入ってないっすよ。報告と、追加で人を呼んでもらうためにひとり送ったんだけど戻って来やしないんすよ」
 もう一人いた門番も、頷きながらため息をついていた。
「さっきから話してたんすよ。今日って四月末日の夜じゃないっすか。たぶんそのへんをうろうろしてる、死んでるやつに生気まるまる吸い取られちまったんじゃないかって。ほんとならシャレになんないっすけど」
「だったら墓場に近い俺たちのほうが先にやられてるだろ」
 十月の末の夜と同じように、死んだ人がそこらをうろついているとされる日の夜だから、悪いやつにやられた、なんていう話も少し現実味があって嫌だ。
「まあ、そうなんすけどね。おっちゃんたちがここの話を聞いてるみたいですし、たぶん生きてると思うっす」
 話が途切れたので地下墓地の入り口を覗いてみたが、適当に枯れ枝を燃やしているだけの灯りではやっぱり中なんて見えなかった。わかったことといえば、深い縦穴がずっと続いているように感じるくらいの暗闇がすぐそこにあるということだけ。
「なあ、テリーって光の操作ができたんじゃなかったっけ?」
「そんなかっこいい言い方するなよ。ただの護身用目くらましの術だ」
「そう、そいつをこの入り口の奥に頼む」
 テリーがいくつかの単語を唱えると、地下墓地の入り口が明るく照らされた。昼間のような明るさに目がくらむ。それでも入り口の奥を見続けると、だんだんその輪郭がはっきりとしてきた。
「……思ったよりは浅いんだな」
 入り口の縦穴は、だいたい俺の胸の下くらいの深さで、その奥には通路のようなものが見える。その通路は人がかがんで通れる程度だ。
「入り口は狭く、奥は広く、だそうっす」
「へえ、知ってるのか」
「小耳に挟んだ程度っす……っていうかその中入るんすか」
「まあ、気にはなるしな」
「俺も知り合いが何人かいるしな」
 テリーが小声でそんなことを言っていた。
「やばくなったら早く戻ってきてください、おっちゃんの武器屋が潰れたら困るっす」
「そ、そんな俺が死にそうなセリフを吐くなよ」
 地下墓地の狭い入り口を抜けると、その先にはたしかに人が立って歩けるくらいの広い通路が伸びていた。壁には一定の間隔で扉と石板がついているのが見える。通路の奥のほうが見えないせいで、これがずっと先まで続いているように思えてしまう。
「しかし空気が悪いな。体の中にキノコでも生えそうだ」
 ずっと入り口がふさがれていたせいか空気はかなりよどんでいる。しかも妙な重さがあり、厚手の服を一枚余分に着たような感覚がする。あまり吸い込みたくない空気には違いない。歩いていると背後からも足音が響いてくるので、思わず振り返ってしまう。
「もしかしてここにある全部の部屋を調べるのか?」
「まさか。でも奥まで行って変わったことがなけりゃそうなるか……」
「そうなったら明日は休業だな」
 しばらく進んでいくと、通路が二手に分かれている場所へ突き当たった。壁には文字が刻まれている。
「"左、階段を下り、第二区画へ至る"、"右、大きい石室、一番目"って書いてあるな」
 右へ進むと、たしかにそのような名前の部屋があった。扉を開けて、テリーが部屋の中を照らすと、骨という骨が折り重なっている様子がはっきりと見えるようになった。どれくらいの人数のものかというのがわからないくらい、大量に重なっている。一人が暮らす部屋の十倍はありそうな広さがあるこの部屋でも、山にしないと収まらない量だ。それらは床の上に直接置かれ、布のようなものをかぶせていた痕跡もない。
「……ずいぶんと扱いが雑なんだな」
 山のふもとに転がっている顔にある、大きな黒い目がこちらをのぞいている。彼は頬のあたりから下の骨がなく、下あごはどこかへいってしまったらしい。
「次行こうか」
 彼の視線に寒気をおぼえたので、さっさと先へ進むことにした。
 階段を下り、第二区画へ。湿気の多さに息が苦しくなる。
 第二区画も第一区画同様、整然と並ぶ扉と石板を眺めながら歩く。
「この扉の向こうはすぐ棺になるんだよな……」
「そうらしいな。この扉は開かないけど」
 第二区画も、分岐点の右に大きな部屋があった。中は、第一区画の部屋と違って整理されていた。天井まで伸びる棚に、人ひとりぶんの骨が納められている。棚には番号が振られているだけで、名前は見当たらなかった。
 不思議に思いながらも部屋を出て扉を閉めたとき、テリーが扉に書かれた文字に気がついた。
「名前がわからない戦士の部屋って書かれてるな」
 第三区画へ下りると、通路の奥のほうに灯りがあるように見えた。
「誰か来てんのかな」
「いや、俺たちより先に入ったやつはいないって言ってなかったか?」
「そうだっけ? じゃあ誰かがくると勝手に灯る仕掛けとか?」
「そんな気の利いたことしないだろ……。だったら通路にもおなじことするって」
 もしそうだったら楽なんだけどな、とテリーは付け足して言った。
 灯りの輪郭がはっきりとしてくるにつれて、なにかにおいが漂ってくるのを感じるようになった。ほんのりと甘い、花のようなもので、地下墓地の空気が湿っているせいか、それはしっとりとしたもののように感じる。
「やっぱり誰かが先に来て、花でも置いてるんじゃないか? 黒いやつが来て初めて気づいたくらいなんだし、入り口なんてとっくに壊れてたんだよ」
「たしかにかいだことがあるようなにおいだけど……」
 テリーは頻繁にしてしまうあくびをかみ殺しきれなくなってきた。眠気からか、魔法の光が揺れている。
「もうとっくに寝てる時間だもんな……」
 俺もかなり眠気を感じていた。なんでこん中入ったんだっけ、なんて思うくらい、意識がぼんやりしてきている。お互いあくびを隠すことも諦めて、地下墓地の最奥部の手前の角まで歩いた。
 誰かがいたら邪魔になるので、壁に背中をこすりながらそっと、奥の様子をうかがった。
「……どうだ?」
 テリーが後ろから様子を聞いてくる。俺はもう一度、奥の様子をうかがった。
「……」
 奥は祭壇になっていた。一人、先客がいる。祭壇の灯りに照らされた赤い霧が揺らめいている。黒い影はそれと同じようにゆらゆらと揺れている。背格好は、自分の店の前で聞いた黒いやつとそっくりだった。こうして見てみると、どこかで見たような雰囲気がする。彼の背中の向こうには、濃いピンク色の花びらが落ちているように見える。しかし、もし北の門で門番を襲った黒いやつの仲間だったとしたら、花を供えるような行動は似合わないようにも思える。
「おい、奥はどうなんだ」
「あ、ああ……」
 答えに詰まっていると、テリーは俺の横を通り抜けて、奥の様子をまっすぐに見た。
「ダンカン、こいつはさっさと逃げたほうが良さそうだぜ」
 俺に顔を寄せて言った。
「どうしてだ?」
「こいつ、たぶんここに寝てるやつらを殺した化けもんだぜ」
「それは本当か?」
「ダンカンは戦に参加してたんだからわかるだろ、アレだ、アレ」
 俺たちが知っている人の中でも一番身長の高いロックと同じくらいの身長に、ボロボロの黒い布をかぶったような格好、両手の先は剣に変化していて、まるで生き物を殺すことに特化しているような、この化けもんのことを言っているらしい。
「俺が戦ったのはもっと小っちゃかったからなあ……」 
 俺たちのようなおっさんが二人いたところで、どうにかできるほど弱いやつではない。全力で走って逃げることにした。
「おいダンカン、びゅーんと走れるような魔法ないのか?」
「俺はそんな便利な魔法使えねーよ……」
 幸いなことにこの地下墓地は出口までほとんど直線で、勢いもあまり落とさずに走ることができた。
 出口のはしごを勢いよくのぼって洞窟に出た。近くには、俺たちが地下墓地へ入る前に来ていた門番たちが、眠そうな顔で突っ立っていた。
「……あ、武器屋のおっちゃん、どうしたんすかそんな慌てて」
「い、いや……な……ああ……」
 息切れがなかなか止まらない。
「もしかしてやばくなったんすか?」
 自分の胸のあたりを押さえながらうなずいた。テリーは完全に立てなくなっているようだった。足を投げ出して、顔を上に向けて、アーだのハヒーだのと声を出している。俺より八歳年下の男の姿とは思えない……。いや、武器屋のおっさんたる俺が息切れしている時点で他人のことは……。
 ようやく息が整い始めたとき、地下墓地からやばいやつが出てきた。黒いやつだ。
「こ、こいつっすかやばいのは」
「お、おう……」
 返事を聞いたか聞かないかくらいのタイミングで、若い門番が一人、剣を片手に黒いやつへ飛びかかった。ほかに居た三人の門番も後に続く。さっきまで眠そうだったのに、この切り替えはだてに門番をやっているわけではないなと思った。テリーは相変わらず灯り役に徹していた。俺はといえば、どう入っていくかタイミングがつかめず、それを眺めているだけだった。
「おっちゃん、そっち行ったっす!」
 黒いやつがこっちへ迫ってきている。片腕の剣が振り下ろされる予兆をみて、すぐに体を動かした。空気を切る音がすぐ近くで鳴る。両腕の力で、空いた脇へ剣を叩き込む。しかし、人間なら考えられない方向にねじまがった腕の剣に阻まれる。俺はもう片腕からの攻撃を考えて後ろに下がった。だが、予想に反してそれは黒いやつの背後だった場所へ向けられた。鉄の鋭い響きとともに、一振りの剣が地面に落ちる。俺は一歩踏み込んで黒いやつの胸のあたりへ剣を突き刺した。手ごたえはほぼない。布きれを切っているような感覚だ。そのままねじって左へ振りぬく。剣を落とした門番はけがをしたらしく、一人に担がれて洞窟の隅にいるテリーのそばへ運ばれている。黒いやつはなんともないようで、変わらない早さで残り二人の門番たちに切りかかる。俺は黒いやつの背後から大きく構えた剣を上から振り下ろす。人であれば左肩にあたるところへ切り込んだ。木箱を剣で叩いたような手ごたえ。反撃はなく、左肩から先の腕が、乾いた音を立てて落ちる。血も何も出ないのがなんだか気味悪かった。続いて門番たちは真正面から右腕を切り落とした。攻撃できなくなった黒いやつは動かなくなり、中身が抜けてしまったように、外側を覆っていた布のようなものが地面に落ちた。
「おい、けがは大丈夫なのか?」
「ちょっとした切り傷だよ」
 様子を聞くと、隅で横になっていた門番は真っ赤になった腕を見せて答えた。ほかの仲間が言うに、彼は四人の中で最年少だという。今年で十八回目の誕生日を迎えるらしい。
「さて、ひとまず撤収するか。俺たちが見た限りではこいつしかやばいやつはいなかったぜ」
「俺たちが入れるとこはとりあえず見てきたしな。あとは明るくなってから元気なやつが行けばいい」
 そうして洞窟を出ると、木々の間から白い空が見えた。もう夜明け。
「悪いが俺たちおっさんは寝るから今日は夕方しか店開けねえよ」
 徹夜で体を動かすなんて何年ぶりだったか。寿命が縮んだ気がする。
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 夕方、もう日も暮れかかろうとしている時間に店を開けた。たまたま通りかかったなじみの客が店先へやってくる。
「おっちゃん、あの黒いやつを狩ったんだって?」
「あ、ああ……左腕だけだけど」
「そうか……」
「どうした?」
「いやな、今日の朝、おっちゃんたちと入れ替える形で出てったやつらが言うには、地下墓地から黒いやつが一体出てきたんだってよ。小さくて動きは遅かったから簡単に対処できたらしいが」
「もう一体いたのか……」
 どこで見落としたのか、さっぱりだった。小部屋はそもそも入れないはずだし、二部屋ある大部屋は全部見たし、通路はまっすぐだったし……。
「あと不思議なんだけど、昨晩地下墓地入り口の警備にやった門番たちのうち一人が、まだ帰ってきてないらしいんだ。ほかの四人はおっちゃんと一緒だったからわかると思うが」
 俺は昨晩門番たちから聞いた話を思い返した。浮かんだ答えに何度も否定と肯定を繰り返すうちに、五月一日の夜がやってきた。